たたかいの現場から

973号

辺野古新基地 > 翁長知事の遺志ひきつぐ沖縄県民集会に参加して

 8月8日午後、台風の接近で行けるのか危ぶまれる中、1時間遅れで那覇空港に到着した。
 高速バスで名護に向う車中で翁長さん意識混濁のニュースが届き、まさかと思うまもなく逝去のニュースが続いた。国が彼を死に至らしめたのだ。

 

 9日8時半前に辺野古ゲート前に到着、新たな柵で狭く仕切られた座り込みに参加する。山城さん、大城さん、瀬長さんの顔が見える。資材搬入もなく2時間ほどで座り込みを切り上げ、デモとコールをしながらテントに向かった。そのコールに「翁長さんありがとう」が入っているのが悲しい。

 テントでは発言や歌が続いた。全国各地から参加している。3時過ぎテントでの行動を終え、ゲート前に新たな柵を設け歩道を90㎝と狭くして座り込みを妨害している北部国道事務所に向かった。

 

 10日も8時過ぎの座り込みに、本土のマスコミクルーも来ていた。沖縄に台風が接近し昼過ぎにテントの屋根をかたづけ、早めに那覇に戻り、県庁でお悔やみの記帳をした。

 

 11日朝、曇り空からは今にも雨が降りそうだった。ゆいレール駅からは人々の列が続き、10時半に海瀬戸豊さんの歌が始まり、知事の死を悲しむかのように雨が降り出した。

 会場に入りきらない人がたくさんいるから詰めてほしいとのアナウンスが入る。
 11時、1分間の黙とうで集会は始まった。

 オール沖縄会議共同代表の高良鉄美氏は、「今日の空は知事の死を悼み、悲しんで泣いているよう。沖縄戦からずっとこの大地が削られてきて辺野古新基地を建設してまた同じことをやるのか。沖縄県民は普通の生活をしたいという願いのために声を上げる。沖縄県民はないがしろにされて黙っている人間ではない」と訴えた。

 

 翁長さんの二男、翁長雄治那覇市議が、父が「沖縄は試練の連続だ。しかし一度もウチナンチューとしての誇りを捨てることなく闘い続けてきた。ウチナンチューが心を一つにして闘う時には想像するよりはるかに大きな力になる」と何度も言っていたことを紹介し、父に辺野古新基地建設が止められたと報告できるよう頑張りましょうと挨拶、知事に用意された椅子にかぶるはずだった青い帽子を置いた。

 

 山城博治さんは「知事の決意を忘れず腹を据えて頑張ろう」、謝花副知事は埋め立て承認の撤回について「翁長知事の強く熱い思いを受け止め判断していく」と発言し、大きな拍手が上がった。

 各界からの挨拶、議員の紹介、県民大会決議が確認され、最後はプラカードを掲げ、つないだ手をかかげてガンバローを行い新基地建設反対と翁長さんへの追悼集会は終わった。
 参加できてよかった。

 

柚木 康子(労働情報共同代表)

 

電波新聞 > パワハラ社長退任 過半数組合再建めざす

 新聞通信合同ユニオンに加盟する電波新聞社社員2人が起こした未払い残業代訴訟は昨年の12月15日、和解が成立した。

 和解条項には解決金支払いに加え今後の時間外労働に対する賃金支払い、パワハラをしないといった組合側が求めていた労働環境の改善につながる内容が盛り込まれた。和解成立を目前にした12月1日には平山哲雄社長が退任、長男の勉氏が社長に就任した。

 

 裁判での勝利的和解は大きな成果ではあるが、パワハラ、違法行為の当事者であった社長を事実上の解任に追い込んだことが一番の大きな成果と言えよう。裁判の和解と社長交代により争議状態が終結し、正常な労使関係構築へ歩み出した。

 

 今回の争議は、15年9月、私に対する一方的な降格・職責手当カットが発端となった。この処遇に不同意を申し立てたところ自宅待機を命じられ、その期間は9カ月にも及んだ。

 個人では全く話し合いに応じない会社に対し、合同ユニオンに加盟し、団体交渉を通じて降格・職責手当カット・自宅待機撤回と残業代支払いなどを要求。16年6月に降格・手当カットの撤回と職場復帰を勝ち取った。しかし、早出・休日出勤に対する賃金支払いには応じる気配がなかったため、未払い賃金の問題は法廷に持ち込まれることとなった。

 

 裁判進行中には原告組合員に対する暴言やパワハラ、差別的処遇が激化するなど、厳しい闘いを強いられた時期もあったが、合同ユニオンをはじめとする支援者からの支えを受け、乗り切ることができた。改めて支援をいただいた皆さまにお礼を申し上げたい。

 

 新体制となってパワハラは一掃され、会社の事業方針に対しては社員同士が意見交換したり、社長を交えて話し合う場が持たれるなど、社の雰囲気は一変した。しかし、新たな就業規則の制定や賃金規定の改定など、労働環境にかかわる問題はまだ足踏み状態である。社内の労働組合は加入資格の関係で組合員が少数にとどまっており(私も非組合員)、活動停止状態にある。今後は従業員の過半数が加盟する組合を立ち上げ、労使対等に交渉できる場をつくっていくことが急務である。合同ユニオンの支援を受けながら、社内労組再建に取り組んでいきたい。

 

 今回の電波新聞の事例は非常にうまくいったまれなケースに当たるかもしれないが、労働者が団結して声を上げることが、職場環境の改善つながるという実例を示したことになり、厳しい労働条件下で働く全国の労働者の方々の希望の光になればと思っている。

 

川田 茂生(新聞通信合同ユニオン副委員長、同ユニオン電波新聞支部書記長)

 

ユナイテッド争議 > 会社側「答えられない」連発 証人尋問で「解雇理由」崩れる

 ユナイテッド航空に解雇撤回を求める裁判で、8月2日と9日、東京地裁で証人尋問が行われた。

 

 原告である私たちは、会社が主張する解雇理由〈1.年間70万ドル(約7700万円)の追加コストがかかる、2.日本路線の不採算、3.人員余剰、などの理由で旧成田ベースを閉鎖したというもの〉にいかに根拠がないか、会社が私達組合員を排除したかった本当の理由は、米国労働組合AFAとの労働協約に明記されている「外国籍で、かつAFAの組合員ではない者は乗務員として働くことはできない」という文言を守るために、協約締結前に非AFA組合員で非米国人の私達を排除した。

 解雇されたのは協約が結ばれる3ヵ月前であり、ベース閉鎖を宣告した時はすでに協約の枠組みができていたはずといった事実から、「明らかに組合差別による解雇だ」と証言した。

 

 会社側証人である客室乗務部部長は、解雇理由の「70万ドルの追加コスト」そのものは本質的な問題ではなかった、とこれまでの主張を一変させ、成田べース閉鎖の判断根拠、算出方法は「企業秘密で立証できない」としたうえで、「グアムベース乗務員だけでフライトを運航できるので成田ベースは解雇をした」とし、「解雇したのはユナイテッドではなく、ユナイテッドと合併処理が完了する前のコンチネンタルミクロネシア航空だ」とも主張した。

 「誰が解雇を決定したのか」「なぜAFAとの団交内容を私たちに秘密にし続けたのか」という核心に迫る質問には、「わからない」、「答えられる権限はない」を繰り返した。

 

 会社側弁護士は「(所属している全国一般全労働者組合を辞めて)AFAに加盟する気はあるか?」等、組合差別を訴えている私たちに向かって信じられない質問までした。
 米国からもっと権限のある経営陣を証人として呼んでくれるかと期待したが、裁判長は却下。改めてユナイテッド航空を追い詰め、司法に公正な判決を出させるため、運動を強化する必要性を実感した。

 

 東京都労働委員会では団体交渉拒否と不利益扱いについて不当労働行為事件が継続している。

 次回期日は11月8日、東京地裁527号法廷13:15~。引き続き、ご支援とご協力をお願いします。

 

吉良 紀子(ユナイテッド闘争団)

 

 

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