アジア@世界
喜多幡 佳秀 訳(APWSL日本)
921号

★ハンガリー:「みんな人間」 市民が自発的に難民支援

 ハンガリー政府は中東からの難民の流入を阻止するために多数の警官を動員している。しかし、市民の中から、自発的に難民を支援する動きも広がっている。
 以下はゾルタン・グロスマン氏(ワシントン州・エバグリーン州立大学教授、地理学)のレポートの一部である。

 

 筆者はハンガリー系米国人で、祖父がナチスによって殺害され、祖母と当時子どもだった父が、見知らぬ人たちの支援によって生き延びることができた。筆者は現在のハンガリーを当時のドイツ占領下での父の経験と重ね合わせて、見知らぬ難民たちに手を差し伸べる市民への共感を表している。 (米国のオンライン誌「Zネット」、9月21日付より)


 ハンガリーは「ヨーロッパのアリゾナ」と化しつつある。アリゾナは難民や移住者が米国に最初に足を踏み入れる州である。ヨーロッパでも、米国南西部と同様に、移住者たちは猛暑のトラックの上で絶命し、当局者たちは国境に壁を築き、極右のヘイト集団は移住者たちが国民のアイデンティティーへの脅威であるとして移住者たちを威かくしている。


 しかし、米国南西部と同様に、ハンガリーの多くの市民が一歩踏み出して、シリア、イラク、アフガンなどの国から弾圧や戦争を逃れるためにやってきた人たちに水や食料や医薬品を提供し、励ましを与えている。
 右翼政権は移民(少なくとも褐色のイスラム教徒の移民)を拒絶しているが、本国へ送還された難民たちには暴力と死が待っていることを理解しているハンガリー市民もいる。シリアから来た人たちを、1956年のハンガリー革命の敗北の後、オーストリアの国境を越えた自分たちの体験に重ねる人たちもいる。


 ラスズロ・シポスさんは子ども時代の56年に難民となり、ニュージャージーで育った。彼はこの1カ月間、ブダペスト・ケレティ(東)駅で過ごした。ハンガリー警察と戦争難民の激しい衝突が起こった現場である。彼は他の数百人のボランティアたちと駅の横に難民キャンプを設営し、難民たちが目的地に着くまでに必要な物資を提供した。
 私は先週、駅に出かけた時に、国内および国際的な人権団体のボランティアたちが寄贈された衣類や靴や食料を仕分けし、電話機を充電し、WiFiの接続に協力し、列車に乗り降りする難民たちに付き添っている光景を目にした。ボランティアが、就学年齢の子どもたちへの贈り物を積み込んだ車でやってくる。ホームレスのコミュニティー、タクシー運転手、ロマの人々が連帯のネットワークの中で活躍している。駅に掲げられたポスターには「これはハンガリーの人々からの愛の贈り物であり、政府からの贈り物ではありません」と書かれていた。


 9月12日の「難民問題ヨーロッパ・アクション・デー」にはケレティ駅に数百人が集まり、市民、移住者のコミュニティー、最近やってきた難民たちのスピーチや歌を聴いた。プラカードには、「難民を歓迎する」、「違法な人間などいない」、「みんな人間だ」、「イエスも移民だった」などのスローガンが書かれていた。
 このような難民への連帯は西側のメディアではほとんど報道されていない。もっぱら政府の強硬策に焦点が当てられている。ハンガリー移住者連帯グループのベロニカ・コズマさんは「多くのハンガリー人は難民と市民の両方の権利を侵害している政府の政策と措置に同意していない」と語っている。


 

★ヨルダン:労働組合がシリア難民を支援

 ヨルダンはシリアからの難民60万人を受け入れており、そのうち80%は都市で生活している。しかし、国連食糧計画(WSP)は資金不足のため、9月からこのうち23万人に対する食料援助を打ち切り、他の20万人に対する援助も半分に切り下げることを決定した。


 ヨルダンの労働組合はシリアからの難民に対する就労支援などに取り組んできた。以下は製造業労働組合の国際組織、インダストリオールが9月にウィーンで開催した女性世界大会に出席したヨルダン繊維・衣料・被服労働者総連合(JTGCU)代表のアフラム・アルテラウィさんへのインタビューの抄訳である。


 4年前にシリアからの難民がヨルダンに到着しはじめた時から、私たちは食料や毛布などの救援物資の提供に協力してきました。しかし彼ら彼女らは仕事を見つけるためには許可証や住宅が必要で、それにはお金がかかります。そこで私たちの所へ相談にやってきました。一方、一部の企業はシリアから来た熟練労働者を雇いたいということで私たちに助けを求めました。
 2013年末に、いくつかの組合と経営団体の代表が労働省に行って、シリア人の熟練労働者の雇用を認めるよう要請しました。労働省はそれに同意し、同時にシリア難民には労働許可証の発行料を半額にすることを決定しました。


 ヨルダンにはイラクからの難民も増えていて、私たちは食料やエネルギーを増やし、水や電気やガソリンの使用を減らさなければなりませんでした。600万人だった人口が今では900万人、あるいは1千万人に達しており、そのため砂漠の中やサウジアラビアとの国境地域の空き地にも難民キャンプが設営されるようになりました。
 ヨルダンにも多くの失業者がいますが、シリアの難民の多くは若くて技能レベルが高いため、一部の企業はシリアの難民をヨルダンの若者よりも優先的に雇用しています。それに、難民は低賃金でも受け入れます。国連からの援助で補うことができるからです。


 ヨルダンにはすでに100万人以上の移住労働者がいて、そのうち労働許可証を持っているのは4分の1です。特に衣料産業では労働者の75%が移住労働者です。主にバングラデシュ、インド、スリランカ、ミャンマー、中国、ネパール、マダガスカルから来た人たちです。移住労働者は低賃金、長時間労働を受け入れ、妊娠することもなく、有給休暇も取得されないため、企業は移住労働者を好みます。今後、この人たちの代わりにシリアの難民が雇用されることになるでしょう。航空運賃をかけて連れてくる必要がなくなるからです。
 衣料労働者の平均賃金は月額約110ディナール(1ディナールは約170円)です。ヨルダンの労働者の平均賃金は350〜420ディナールですから、ヨルダン人でこの産業で働きたいと思う人はいません。
 私たちは2013年に、衣料産業の賃金を毎年5ディナール引き上げる協約を締結しました。この協約は今年5月が期限でしたが、17年まで延長されました。

(インダストリオールのウェブより)

 

★スウェーデン:ケアハウスの介護士に6時間労働

 ヨーテボリ市の高齢者介護施設、スバルテダレンズ(介護士数82人)では今年2月から、介護士の労働時間が8時間から6時間に短縮されている。賃金は同じである。
 この労働時間短縮の実験のために新規に14人を雇用し、コストが増加したが、スタッフの福祉が充実して、ケアの質が改善され、実験は成功だと評価されている。

 

 介護助手のリセロッテ・ペテルソンさんは「これまではいつも疲れ切っていて、家に帰ったらソファに倒れ込んでいた。しかし、今は、もっときびきびと動けるし、仕事に集中できる。家族の生活も楽しめる」と語っている。

 高齢者(認知症の人もいる)の介護は常に緊張と創造性が求められるが、1日6時間なら高いレベルのケアを提供できるとペテルソンさんは言う。彼女によると「高齢者にストレスを感じさせてはいけない。そうでないとみんなが一日中不機嫌になる」。


 ルンド大学の研究者(ビジネス管理)のローランド・ポールセン氏によると、スウェーデンでは20世紀に労働時間が徐々に短縮されてきたが、最近十数年の間に労働時間が長くなっている。これは歴史上初めてである。労働密度も強化されている。彼は「1970年代と比べて労働生産性は2倍になっている。論理的には1日4時間労働も可能だ。問題は生産性向上の成果をどう配分するかだ。労働時間の短縮はユートピアではなく、これまでやってきたことだ」と語っている。


 ヨーテボリのトヨタのサービスセンターでは13年前に、36人の修理工に6時間労働が導入され、その結果、離職率が下がり、新規採用も容易になったという。
 新興のインターネット企業のブラス社も、3年前の創業時から6時間労働を導入している。同社は優秀なスタッフが集まってくるため、競争上の優位を確保している。

 90年代に賃下げなしの6時間制導入のいくつかの試みがあった。北部の鉱山都市キルナの高齢者介護施設や、ストックホルムの託児所などである。しかし2000年代に市政が右派に移ったのに伴って、この実験が打ち切られた。
 ストックホルムにおける経験の評価に参加したルンド大学のビルギッタ・オルソン教授は「実験の打ち切りは政治的な決定だった。彼らはコストがかかりすぎると言った。しかし、それは良い投資だった。雇用が増え、健康が増進され、より良い労働条件を享受できた」と指摘する。

 ヨーテボリの市議会の多数派が中道左派連合から保守リベラル連合に移行したため、この実験が来年に打ち切られる可能性が高い。
 スウェーデン最大の労働組合センターであるLOは6時間労働の導入について沈黙してきたが、LOの研究員のジョア・バーゴールド氏は「ヨーテボリの経験は大きな象徴的な意味を持っている」と述べている。

(英国「ガーディアン」紙9月17日付)

 

 

 

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