たたかいの現場から
827号

労働運動への弾圧だけとは考えられぬ不可解な逮捕
  新たな価値観に基づく復興に向け仙台でシンポジウムを開催

 10月25日、2年半前の「校長交渉」を「強要未遂容疑」として4人の「がくろう神奈川」の組合員が逮捕された。11月2日朝、4人は処分保留?で釈放されたが、組合の「声明」と、逮捕された組合員からの報告を掲載する。

(編集部)

【資料】
組合員への不当逮捕に抗議する(声明)
 10月25日、私たち学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)の組合員と退職した元組合員のあわせて4人が、神奈川県警公安3課と栄警察署に強要未遂容疑で逮捕された。しかし本件の実態は、正当な労働組合活動に対するまったく不当な刑事弾圧である。がくろう神奈川は強く抗議するとともに、不当に逮捕・勾留された4人の即時釈放を要求する。
 本件不当逮捕は、がくろう神奈川が組合員勤務の横浜市立中学校長と2009年3月に行った「校長交渉」=労使交渉に際しての、当時いずれも組合員であった4人の行為を被疑事実としている。
 しかしまず、この交渉は事前にがくろう神奈川より申し入れ、校長も受諾した上で行われたものである。一部報道では県警公安3課の説明として、「地方公務員法は人事評価についての交渉は認めておらず」などと交渉そのものが違法であったかのように報じているが、そのような明文規定はなく、まして交渉することそのものを違法とする法解釈などありはしない。何より本件は当事者同士が、人事評価という議題も労使交渉であるという位置づけも事前に承知した上で行ったものであり、まったく適法な労使交渉であった。
 そして労使交渉の席上、両者の主張が平行線をたどれば厳しい議論になるのは当然であるし、使用者側が一方的に打ち切ろうとすれば抗議し、要求が受け入れられなければ相手側の問題点を指摘し、あるいは今後の更なる取り組みの強化を通告して追及するのも、労使交渉である以上当然のことである。違法行為を予告したわけでもない交渉における言動を「強要未遂」などと言いなすのは、民間労組が交渉でスト権行使を示唆するのを「強要未遂」と言うのと同じくらい、通用しえない話である。
 そもそもの発端は、組合員に対する人事評価であった。一部報道では「人事評価を上げるよう要求」とあり、あたかも通常を上回る高評価を不当に得ようとしたかのような印象を受けるかもしれないが、事実はまったく異なる。そもそもがくろう神奈川は、人事評価制度そのものに強く反対しており、制度撤廃を求め続けている。その上で現場においては、制度上どうしても評価をせざるをえないなら全て標準にあたるB評価を、と申し入れており、SやAなどの高評価を求めるなどあり得ない。
 その上で本件はどういった交渉であったのか。当該中学校勤務の組合員はこの年度に新規採用され、初任ながら事務職員単数校に配属された。県内でもっとも多忙とされる横浜で、右も左もわからない1年目からたったひとりの事務職員として配属された上、本来頼りになるべき管理職=人事評価制度上の「観察指導者(校長)」も「助言指導者(副校長)」も事務職員の仕事を知らず、指導も助言もありはしない。この組合員はそんな環境の中でも尽力し、1年間事務職員業務を滞りなく勤めた。しかし人事評価における校長評価は、標準がB評価であるところ、7ヵ所中5ヵ所にC評価をつけるものであった。C評価を受ける者は県内全体で1%にも満たず、著しく低い評価であった。
 当該校長は、人事評価制度上本来果たすべきとされている「指導」や「助言」もせず、また勤続年数に基づく評価を行ってはならないとされているにもかかわらず「初任者はC評価から始まる」といった重大な誤解ないしはデタラメに基づいて、著しい低評価を下した。C評価を下した場合に記入すべき「指導・助言内容」も記入できていない。これを不当評価と言わずしてどう言おう。後の話であるが、この評価については横浜市教委も「行き過ぎ」と認め、不充分ながら一部を訂正させたほどである。
 以上の経緯・理由を踏まえて、がくろう神奈川はC評価の撤回とB評価への修正を要求した。私たちはこの要求を、組合員への不当極まる評価を撤回させ、組合員の人権を守り名誉を回復するための正当なものであったと信じる。
 以上の通り本件刑事弾圧は、手続き的にも道義的にもまったく正当な労働組合活動に対する、警察の不当介入・不当弾圧そのものである。がくろう神奈川は、逮捕・勾留を行い、あるいは請求し、あるいは許可した県警・検察・裁判所に強く抗議し、4人の即時釈放を要求する。加えて、逮捕された現職組合員の任命権者である横浜市教委と相模原市教委には、今回の逮捕・勾留を理由としたいかなる処分や不利益取扱いも行わないよう要求する。
 最後に、私たちがくろう神奈川は今回の不当な刑事弾圧に屈することなく、逮捕された4人の救援活動とともに、組合活動を決然と展開して行くことを表明する。みなさんのご支援ご注目をお願いします。

2011年10月27日
学校事務職員労働組合神奈川

帰ってきたよ〜 がくろう神奈川の4人釈放
不当弾圧を跳ね返し、不起訴処分を勝ち取るぞ!

 10月25日の突然逮捕から9日、その日の午後予定されていた勾留理由開示裁判を前に、11月2日午前、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)の4人の組合員(現・元)全員が、釈放された。4人ともみんな元気です。みなさんの支援に感謝!  事件の概要は、組合の声明を読んでほしい。そもそもは2年半以上も前の校長交渉の場でのやりとりを「強要未遂」とでっち上げた正当な組合活動に対する不当弾圧。私を含めた当事者は最初、何のことやら皆目検討もつかない、とうの昔に忘れてしまったほど遠い昔の話なのだ。それで、取調べの中で思い出したのは、新規採用で職場の中で孤軍奮闘する学校事務職員に人事評価の「C」=「良好でない」評価をつけた校長との交渉という、労働組合的にはしごく全うな取り組み。今年の4月になって出された元校長の被害届をうけてのことだが、半年以上捜査した上での令状逮捕・家宅捜査を公安3課が担当するという、前代未聞の刑事弾圧だ。  拘留期間中、神奈川県共闘をはじめとした地域の労働運動のネットワーク、また「日の丸・君が代」や反戦反基地……など、組合の関わってきた市民運動の仲間たちの支援が、組合を支えてくれた。私たちへの激励行動や釈放時の報告集会には100名に近い人たちが結集、小さな組合が、たくさんの仲間の支援に支えられ、私たちの救援に全力投球されたことは、感謝にたえない。  最終的な処分(起訴or不起訴)が決まっておらず、経過を考えると予断を許さないが、この逮捕は、みなさんが即座に感じて、私たちを助けるために動いてくれたように、単にひとつの労働組合にかけられた弾圧というだけでなく、もっとひろく労働運動や社会運動全体にかけられたものなのだと思う。だから私たちは、慎重に、けれど絶対にこの弾圧に屈することなく、原則的な労働運動をやり続けていく。不当な組合弾圧に抗議を!そして、不起訴を勝ち取るまで、引き続きの注目と支援を!

京極紀子(学校事務職員労働組合神奈川)

今後も続くよ団結まつり

 今年で25回目となった団結まつりは国鉄闘争の終結に伴い、開催を心配する向きもあったが10月23日(日)に亀戸中央公園で開催された。「止めよう原発 核のない世界へ!なくそう非正規労働、全ての争議勝利!つくりだそう戦争と貧困のない社会を!10・23団結まつり」とのタイトルがつけられたまつりは、放射能対策からA地区に会場を移してとりおこなわれた。
 冒頭に、国鉄闘争共闘会議・二瓶久勝前議長より「24年間闘われた国鉄闘争は金銭部分では一定の成果を収めたものの、JR各社と官僚の抵抗によって雇用を断念せざるを得なかった。今後は信濃川の不正取水問題で11月中旬以降にJR東日本会社に株主代表訴訟を行い、公共性や社会正義の問題を徹底追及していきたい。その裁判と事業体支援組織として「国鉄闘争を継承する会」の準備会を昨日立ち上げた。また、喫緊の問題として反原発の闘いを出来るところから始めて、社会変革を求めていこう」との挨拶でスタートした。
 続いてまつりに参加した元原告達が登壇し、酒井直昭・元鉄建公団訴訟原告団団長が「今後もJRに対する闘いの鋒は収めない」決意と、長期間にわたる支援へのお礼を述べた。 特別報告としては、子どもたちの避難の権利を求める「福島集団疎開裁判の会」井上利男会長と「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」佐藤幸子さん、それに非正規労働者の争議団を代表してキヤノン偽装請負事件原告・阿久津真一団長の三氏より、資本主義の利益本意の立場から、子どもたちを高放射能下に曝し続けたり低賃金不安定雇用を押しつける実態が告発された。
 当初心配されたお天気も尻上がりに良くなり、味や工夫を凝らした模擬店への呼び込みのボルテージも次第にあがっていった。その中でもとりわけ賑わっていたのが「JAL解雇撤回裁判原告団」のテントで、制服姿の乗務員達がお得意の笑顔ときめ細やかな接客で多くのお客様をゲットしていた。また、「カルテがないC型肝炎訴訟原告団」のテントでは自家製のゼンマイを使ったお袋の味がおじさん達の郷愁を誘っていた。
 まつりのシメは、纐纈朗東京清掃労組副委員長が(1)闘争団が足で稼いで作り上げたまつりを継承していく、(2)争議団の活動を職場地域に拡げよう、(3)反原発の闘いに積極的に関わろうの3点に要約し、参加者全体の団結ガンバローで幕を閉じた。

岩崎松男(本誌副編集長)

劇「フクギの雫」上演と大田昌秀氏講演の集い

 「フクギの雫」の題は、米軍ジェット戦闘機がなぎ倒したフクギの樹から流れ出たミルク色の樹液を表わし、それは被害者や遺族の深い悲しみを象徴するものであるとつけられた。
 52年前の1959年6月30日、「整備不良」の米軍ジェット戦闘機が空中爆発を起こし、機体の一部は宮森小学校に突っ込み、死亡者17名(うち児童11名)、負傷者210名という大惨事を起こした。復帰前のアメリカ施政権下でのこの惨事は、沖縄以外ほとんど知られていない。
 事件から50年目の2009年6月30日を迎えるに当たり、元高校教師の宜野座映子さんと教え子の若者たちがプロジェクト「ハーフセンチュリー宮森」をたちあげ、遺族から証言を聞き、脚本を書き宮森小学校の子どもたちと劇「フクギの雫」を創ることを始めた。
 04年8月13日沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したように、宮森小学校の惨事は、過去のことではない。
 10月17日、一川防衛相が沖縄を訪れ、辺野古移設に伴う「環境影響評価書」の年内提出を明らかにした。野田政権は、米側の早期実現要求に応える形で辺野古移設に動き出した。普天間基地への垂直離着陸輸送機オスプレイの配備強行と合わせ、沖縄の人々の思いを踏みにじり、膨大な基地と犠牲を押し付けようとしている。これは、電力のために原発を押し付けられ、福島の人々に将来にわたっていのちと生活を脅かす社会のあり方と重なり合う。
 私たちは、普天間基地問題を考えるとき、沖縄の現実と思いをこの劇を通して知って頂きたいと思い計画しました。その現実と闘ってこられた大田昌秀氏の講演と合わせて、是非、多くの方々に鑑賞して頂きたいと思う。

【上演と講演の詳細】
文京シビック小ホール(地下鉄春日駅・後楽園駅)/
12月3日(土)@15時半〜 A18時〜(19時半〜大田昌秀元沖縄県知事)/
呼びかけ:
 宮森630を伝える会・
 東京YWCA・
 (財)原爆の図丸木美術館
tel:0493−22−3266

日野正美(電通労組)

光輪モータース闘争勝利解決報告会《写真報告》

 超ワンマン経営者・若林社長とガチンコ対決の結果、15年目にして決着を迎えた全統一光輪モータース闘争の解決報告集会が、去る10月15日に開催された。
 1996年6月、労働組合とは全く無縁だった80名を超える若者達が労組を結成し、分裂、集会、スト、共闘等を体験することで、しなやかで強い労働者へと成長を遂げていった。当時続いた企業倒産と自主生産闘争を通じて獲得した場所を、他の労働者や外国人へと解放し、フリースペースとして活用してきたのも彼らだった。かつておじさん達に「若者だってやるもんだ」と見直させた彼らも、今や立派なおじさんになった。改めて元光輪モータース分会の仲間(当日参加15名)と200名の参加者とが、『団結』することの意味とごちそうを、噛みしめ味わう集会となった。

(10月15日 ホテル・ラングウッド 岩崎松男/写真提供 今井明)

金城実さんと行く三里塚東峰ツアー

 11月6日、「金城実さんと行く三里塚・東峰芋掘り&収穫祭ツアー」が行われ、20数名が参加。収穫祭会場の成田市東峰地区では農家の頭上40mをジェット機が飛び、騒音や排気をまき散らし、すでに今年の冬ダイヤに入っている現在年間発着枠が1.5万回増えて23万5千回になっている。
 収穫祭での昼食後、東峰と空港をはさんだ向かいにある横堀鉄塔で、金城さんがご自身の作品「抗議する農民」像に30数年ぶりに再会。この像は1975年、海洋博で浮かれる一方で闘われていたCTS反対闘争の中で始まった「沖縄群像展」の作品の一つだなど、作品が三里塚・岩山鉄塔に来た経緯やその後の事、今の思いなどを語った。
 金城さんを迎えた加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会 U 代表)は、高木久仁子さんに、核廃絶と三里塚闘争に生涯をかけた高木仁三郎さんへの追悼句を贈呈。何が正しいかの判断には歴史的時間が必要、虚構の世界は必ず崩壊すると挨拶。
 お二人は再会を誓い、別れを惜しみ、何度も抱き合っていた。

(浅井真由美)

国労北見闘争団より記念品を戴きました

 10月21日、国労北見闘争団の前北富雄団長、水本俊生事務局長、成田雄一副団長が来所。『国労北見闘争団「24年間の闘いの記録」』と、電波時計を戴きました。

編集部

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