「過労死をなくそう!龍基金」中嶌賞授賞式
当事者が立ち上がり、声を上げる運動を
「過労死をなくそう!龍基金」は8月1日、第4回中島富雄賞授賞式を東京・葛飾で開催し、過労死を出した企業名の公表を求めて国を提訴した寺西笑子さん(全国過労死を考える家族の会代表)を今年の受賞者として表彰した。日本弁護士連合会の会長で反貧困ネットワーク代表である宇都宮健児弁護士の記念講演もあり、会場には満員の130人が集まった。
授賞式の冒頭、龍基金の代表である中島晴香さんの夫で、すかいらーくの店長として2004年に過労死で亡くなった中島富雄さんと、副代表の前澤笑美子さんの長男で、すかいらーくの契約店長として2007年に過労死で亡くなった前澤隆之さんの遺影に向かって参加者全員で黙とうをささげた。
中島賞の選考委員を代表して過労死弁護団事務局長の玉木一成弁護士が今年の受賞者である寺西笑子さんを紹介し、授賞の理由について「過重な労働を続ける方が企業にとって利益が上がるから過労死はなくならない。企業名公表の裁判を支援する意味でも選考した」と説明した。
中島代表から表彰状と賞金を受け取った寺西さんは受賞の言葉を次のように述べた。「夫を過労自殺で亡くして、労災の認定と会社との裁判で10年半もの長い闘いをやってきました。これからは過労死が起こらない活動をやっていきたい。企業名の公表を求める裁判はそのためにあります。過労死予備軍をなくす仕組みを国をあげて、企業をあげて取り組むよう求めたい。その先頭に遺族の怒りがある。ともに手をつないで過労死防止を実現しましょう」
記念講演した宇都宮弁護士は、中島さんや寺西さんら遺族が先頭となって過労死根絶を訴えている姿に感動したと話した。自身のライフワークでもあるサラ金事件で、多重債務者を苦しめる高金利を規制するための立法運動が成功したのは、被害者自らが立ち上がり声を上げたからだと指摘。「過労死問題も遺族が困難な中でも声を上げることが根絶に向かっていく」と話した。
龍基金は発足して約4年。労災の申請と認定、会社への謝罪や補償の要求など、多くの過労死・過労労災の問題に取り組んできた。成果を上げたこともあるし、失敗したこともある。労働時間の記録を隠す、破棄する、改ざんするといった会社側の抵抗に対して、最愛の人を亡くしてただでさえ悲嘆にくれている遺族ら当事者を最後まで支えられるか。過労死の企業責任を追及する声を上げるよう励ますことができるか。遺族を孤立させない運動が求められている。
……(本誌副編集長 岩崎松男)
普天間爆音訴訟支援行動
普天間爆音訴訟支援・連帯行動は、新たな可能性をこじ開けた
8月2日、衆議院第2議員会館前で12時〜13時過ぎまで、普天間爆音訴訟支援行動が7月29日の普天間爆音訴訟の二審判決を受けて行われた。普天間の他に、嘉手納、岩国、横田、厚木などの訴訟団がかけつけ、労働組合、市民団体など併せて約80人で路上は賑やかだった。
13時40分から15時過ぎまで、新しい衆議院第2議員会館で院内集会が開催された。冒頭に普天間基地の騒音状況を記録したビデオが上映され、2004年8月のCH53大型ヘリの墜落直後の模様も私たちに記憶を呼び覚ましてくれた。
訴訟団長の島田善次さんは、「飛行差し止めはかなわなかったが、一歩前進と受け止める」とし、この国は安保が「国体」だとすれば、日本全国で基地を受け止めるべきだと指摘した。現状は「醜い日本人」だと呆れ果て、「日・米政府は滅びてしまえ」と吐き捨てた。
続けて発言に立った伊波洋一宜野湾市長は、そもそも普天間基地は飛行場なのかと切り出した。政府は、国内法では飛行場ではないと言いながら、米軍は「日米安保」を適用し、提供施設内では「安全基準」をクリアしているという。しかし施設の外には、何の配慮もしていない。住民不在の扱いだ。米国の基準である「クリアゾーン」を日米政府は無視し、環境規制も無視されたままだ。裁判で指摘されても、行政も、国会も、見過ごしていると国会の責任を鋭く問うた。その後、福島瑞穂、服部良一、瑞慶覧長敏、糸数慶子、照屋寛徳、川内博史ら国会議員が決意を述べた。
そして弁護団事務局長の加藤裕弁護士が、判決文の趣旨を紹介。司法は、差し止め請求を認めなかったが、被告は、平成8年の日米合同委員会の約束を守るべしと指摘し、違法性を1審判決よりも大きく踏み込んだ。
住民の不安感や恐怖感についても、墜落の危険性を認めたようなものだと報告。この後、全国爆音訴訟原告団連絡会議、平和フォーラムなどが発言し、支援の輪を確認し合った。
集会後も、議員会館前での座り込み、他方、外務省、防衛省への要請行動が行われた。夜は、全水道会館で支援報告集会が行われ、参加者は200人を超えた。沖縄から要請に来た人達は、何としても沖縄で決着をつけるとの決意がみなぎり、全体の志気もとても高かった。
「日本」にすむ私たちは、沖縄差別を許さない闘いが問われているのだ。
……山本 英夫(新しい反安保行動をつくる実行委員会)
国労第79回定期大会に臨んで
国労第79回定期全国大会が、7月28日、29日の両日で伊東市において開催された。今大会は、国労の最大課題である採用差別事件の政治解決を決めた第78回臨時全国大会後、残された課題であるJR会社への雇用を政府の要請において、確実に実施させるために国労がどのように運動を展開させるかを内外にアピールするとともに、国労の気構えを表すための大会であった。と同時に、この到達点と地平を切り開いた鉄建公団訴訟を国労としてどう総括できるのかが問われた大会でもあった。
JRへの雇用を求める闘いは、国労の方針として全力で雇用確保に臨むと集約したが、どのように会社と対峙するかは、本部として返答されずに終わってしまった。高崎の代議員の発言にあるように「和解により裁判を取り降ろして雇用を求める闘いは、並大抵のものではない。国労が、JR会社を社会的・道義的に追い込む必要がある」まさに雇用問題の解決なしに1047名問題は解決しないわけであり、全組合員が雇用を求める運動に全力を挙げ闘い抜くことが求められていたが、迫力と気構えという意味では、今ひとつ曖昧であった。
ただし国労組織として、この間支援をいただいた共闘組織に、全国単一体組織としてその優位性を発揮し、運動に邁進していくことは確認しあったと思う。
今後私たちが注視しなければならないこととして、今大会で提起された闘争団員が、権利を持たない「特別組合員」として身分化されたことにある。本部として「絶対に国労から切り離さない」と答弁したが、大会における発言の中で、北海道・九州を中心に組織運営がきびしくなると危惧しており、私たちは今後の国労運動を全国展開するためにも、闘争団員を守らなければならない。
国労全国大会の感想として、1047名解雇争議は、24年闘争団・家族が苦悩し、全国の支援者が自らのこととしてこの闘いに関わってくれたこと、そしてJR本体の組合員も全力で奮闘してきた。しかし今日の到達点と地平を切り開いたのは、紛れもなく統制処分を受けながらも、いまだに名誉回復されない先行訴訟=鉄建公団訴訟原告団である。今大会において、本部としてきちんと総括し、仲間の名誉回復をすべきであったと思う。
最後に大会運営に一言、全国の代議員は各地方の組合員の意見を背負って大会に集まっている。時間に押されて発言者を制限したり、国労でいう「学校」で発言者を決める時代は終わりにした方がいい。もっとダイナミックな大会運営にするべきであろう。
……原田 繁彦(国労高崎地本前橋支部書記長)
渡り鳥企業コルト・コルテックを追い詰める暑い遠征闘争
世界のギター生産量の30%を占めている韓国の製造メーカー■コルト・コルテックは、2007年3月に労使対立や経営不振を理由に韓国内にある全ての工場を一方的に閉鎖、現在インドネシア工場だけで生産を行っている。
3年5ヵ月に渡って復職闘争を闘い続けている労働者たちは、韓国内での労働委員会・裁判闘争、大衆行動に加えて、ギター演奏者などによる「コルト・コルテック・ギターを作る労働者と共にする文化労働者たち」という支援グループを通じ、世界中のアーチストたちに争議解決への支援を呼びかけてきた。
昨年10月には、横浜で開催された国際楽器博覧会でのアピール要請行動のために遠征団が初来日し、今回で2度目の遠征闘争となる。今回は、7月30〜8月1日にわたり苗場リゾートで開催される野外イベント「2010日本フジロック フェスティバル」に招請され、争議をアピールするため金属労組仁川支部コルト楽器地域会・バン・ジョンウン会長を団長に当該2名と支援者4名でやってきた。
この遠征団を受け入れたのは昨年の遠征闘争で結成された「コルト・コルテック争議を応援する会」(事務局長・鳥井一平氏)で、国内最大のフェスティバルに招かれ大勢の海外ミュージシャンや観客からの署名や激励で興奮冷めやらぬ3日には、都内本郷にあるコルト・コルテックの日本における有力な取引先である、星野楽器東京営業所に要請行動を行った。(本号表紙の写真)
この行動には猛暑の最中にも関わらず、神奈川シティユニオンを含めた支援者およそ10名が参加した。責任者の所長はあいにく不在だったが、対応してくれた社員が要請書を受け取り、その後はお茶の水駅前で1時間程宣伝行動を行った。
多くの楽器店が集まっているお茶の水だけに、関心を示してくれる人も少なからずいたうえ、撒きチラシに「“NO CORT”」と書かれたかわいいイラスト付きの缶バッジをサービスしたためか、チラシは瞬く間にさばけてしまった。また、その日の夜には西荻窪FLATで連帯コンサートが、翌4日の夜には新宿で映画交流会が催された。
……岩崎 松男(本誌副編集長)
大阪府労委 インタラックへ団交応諾を命令
全国各地の公立学校へ外国語指導助手(ALT)を偽装請負で送り込むインタラックは、雇用保険・社会保険未加入など数々の違法行為をしています。各地のALTが雇用保険・社会保険の問題で当組合に加入したので、組合よりインタラックに対し、「組合員であるALTの雇用保険・社会保険加入」などを議題とする団体交渉を申し入れました。この団交申し入れに対し、インタラックは「ALTが本当に組合に入ったか不明である。ALTの組合加入を確認するため、団交に先立ち、組合加入届けを会社へ開示せよ」と回答し、当組合との団交に応じませんでした。
私たちは組合員名を記載した「組合加盟通知」をインタラックに送付して公然化をしており、かつ極めて重要な内部文書である「組合加入届」を使用者に開示出来ないと判断し、加入届の開示を拒否しました。すると、インタラックは、「組合加入届の開示がない限り、団交には応じない。」と、都合16回も団交拒否をしました。インタラックの団交拒否、そして組合の内部文書である「組合加入届」の開示を求めたことを、組合活動に対する支配介入として、当組合は大阪府労委へそれぞれの不当労働行為に対する救済を申立てました。
2010年7月28日、大阪府労委は、「組合加入届の開示を求めたことは支配介入、組合加入届の開示がないとして団交に応じなかったのは、団交拒否の不当労働行為」として、インタラックに団交応諾と謝罪文の手交を命じる救済命令を出しました。
以上の通り、インタラック事件とは、組合が勝って当たり前の事件ですが、一つ特筆したいことがあります。それは、世間には「ユニオン対策」を指南する輩がおり、どうやらその輩が以下の通り、吹聴しているようです。
「社長さん!個人加盟のユニオンと名乗る団体から団交申し入れがあった場合は、『従業員の組合加入が不明だから、まずは組合加入届を開示してください』と回答しましょう。ユニオンは頭が固く組合加入届の開示を拒否するから、それを理由に『従業員の組合加入が不明だから、団体交渉には応じられません』と回答しましょう。そうすると、うっとおしいユニオンの相手をせずに済みます」
それが証拠に、当組合の相手方企業で、インタラック以外にも「組合加入届を開示せよ」と求めてくるところがあります。しかしながら、ゼネラルユニオンも労働組合の端くれ。私たちは「浅知恵で、我らの労働三権を侵害されてなるものか!」と奮い立ち、16回も団交を申し入れ、そして勝利命令まで労働委員会闘争を貫徹しました。
全国の、そして地域の仲間の皆さん、もし、「団交に先立ち組合加入届を開示して下さい。」と、ふざけたことを言う会社があれば、是非ともこのインタラック事件命令を引用し、会社を団交の席に引きずり出して下さい。皆さんにこの命令を活用してもらうことにより、何度団交を拒否されても執念のごとく16回も団交申入書を送り続けた、当組合オルグの労苦が報われることでしょう。
……友延秀雄(ゼネラルユニオン書記次長)
急転直下!大きな山場を迎えた光輪モータース闘争緊急集会開催
上野駅前のバイク街で最大の店舗数を誇り、その通りを光輪ロードと銘々するまでかつて一世を風靡した光輪モータースは、以前「宮尾すすむの ああ日本の社長」にも出演した若林社長が経営するバイク会社であった。
バイクが好きという理由だけで、若林社長のワンマン経営にも耐えてきた若者達は1996年6月に全統一光輪モータース分会を結成して以降、会社の徹底した組合つぶしを肥やしに大きく成長してきた。
140億円もの銀行による不正融資事件から、石上君の襲撃事件にまでエスカレートした若林の攻撃は、それでも組合がつぶせないと知るや今度は08年4月、偽装倒産に及んだ。分会はそうしたことも予想し、バイクハンズの店舗を占拠し続ける傍ら、上野の地域にこだわり組合員の生活防衛のための自主生産会社「BIG BEAT」を立ち上げた。
09年末に裁判所内で行われた債権者集会でも、大原分会長に暴力をふるった傍若無人な若林元社長が、今年6月交通事故がもとで死亡するというハプニングが起きた。
この事件により、これまでの膠着した状況が大きく動き出す気配を見せてきた。若林元社長が資産隠しのためにバイクハンズの所有者とした■ズームの代表である息子の若林貴久が、父親の死去によりこれまでの重しがとれたのか、名ばかり代表から脱皮する意向を示してきた。分会も組合員の雇用責任を求めて団体交渉を申し入れている。こうした光輪闘争の大きな山場を迎え、地域の仲間への周知と支援を要請するために8月5日の夕方バイクハンズ前で緊急集会を開催した。
……岩崎 松男(本誌副編集長)