●チェニジア
旧政権関係者の排除求めてゼネス
反独裁闘争拡大の中で1月14日にベン・アリ大統領が国外逃亡した後、同17日にメバザア暫定大統領(下院議長)とガンヌーン首相の下で暫定政権が確立された。60日以内に大統領選挙が実施される。
メバザアとガンヌーンは、野党からも入閣を求めて挙国一致による危機の収拾を計った。しかし、ベン・アリの立憲民主連合(RCD)が暫定政権の要職にとどまっていることから、同18日には首都や全国の主要都市で、暫定政権反対のデモが起こった(メバザアとガンヌーンはRCD離党を発表していた)。警官隊が催涙ガスなどでデモを妨害、多くの負傷者が出ている。
同日、野党から入閣した閣僚3人が辞任。この3人はチュニジア労働総連合(UGTT)のリーダーである。UGTTは同22日に、デモ参加者や、諸政党、市民の要求に応える「救国政府」樹立を呼びかけ、組合の要求が受け入れられるまで平和的デモとスト継続を宣言。この動きについて「ロサンゼルスタイムズ」紙は、「…この組合は23年間、概ねベン・アリと協調してきたが、運動の急速な拡大に追い付こうとした」と指摘。当初、UGTTは暫定政権に参加したが、一般組合員からの反発を受けて、閣僚を辞任した(1月27日付)。
同17日、パリに亡命していた「共和国のための会議」のリーダーで、大統領選挙への立候補を予定しているモンセフ・マルズキ氏(65歳、医師、人権活動家)が帰国し、チュニスの空港で支持者たちに迎えられた。彼は暫定政権は「仮面」でしかなく、依然としてベン・アリの支持者による支配を指摘し、「90人が死んだ。4週間に及ぶ本当の革命だった。それはこんな政権実現のためではない」と訴えた。また彼は、サウジアラビア政府にベン・アリの身柄引き渡しを要求すると語った。
ロンドンに亡命中のナフダ運動(旧「イスラム潮流運動」)のリーダーのラチッド・アル・ガンヌーン氏(69歳。同姓の首相とは無関係)は、暫定政権をめぐる交渉に呼ばれなかったが、もし要請されれば協力する用意があると述べた。
1月24日には、チュニスで数千人がガンヌーン首相の辞任を要求してデモを行った。警官隊は催涙弾を発射し、官庁周辺を鉄条網で封鎖した。夜間外出禁止令にも関わらず、多くの人々が首相府前で野営を続けた。地方からも、この間のデモでの犠牲者の写真を掲げて、多くの人々が首都へ向かった。AFP通信によると、メンゼル・ブージアンの町から来たアリ・アバシさんは、「われわれは1ヵ月でも2ヵ月でも、政府が辞めるまでここにとどまる」と語っている。彼は兄が弾圧の犠牲になった。教員が暫定政権反対のストに入っているため、学校は休校が続いている。
UGTTは、各地での民間武装集団による攻撃に抗議し、職場・生産拠点や各地の組合本部を防衛するよう呼びかけた。
同27日に、暫定政権はUGTTの要求を受け入れて、PCDの3人の閣僚(内務相、国防相、外務省)を解任。新たに12人の閣僚を任命した。「チュニジア・オンライン・ニュース」によると、UGTTはこの決定を歓迎し、政権への復帰を受け入れた。(「アルジャジーラ」、「フランス24」、BBC等より)
●エジプト
若者が反独裁闘争を牽引
エジプトで1月25〜26日のデモを契機に一挙にムバラク政権を追い詰めた闘いは、「4月6日運動」などの若者のグループが牽引し、広範な層に拡大した。「4月6日運動」は、08年4月6日に、フェィスブック(インターネット上の交流サイト)を使い、マハッラ・エル・クブラ(カイロから北に110`)の労働者支援の全国スト呼びかけを契機に始まった。
広範な反独裁闘争の背景には、30年に及ぶ独裁政権の腐敗や民主主義的権利の抑圧、米国・イスラエルへの追随とパレスチナ解放闘争への敵対に対する怒りと、低賃金、高い失業率に抗議する労働者の闘いの継続と広がりがあった。
「リアルニュース」で放映されたモハメッド・エゼルディン氏(エジプト人の研究者、米国在住)のインタビューによると、05〜06年に労働者のストが激増。大規模な衣料工場が集まっているマハッラ・エル・クブラでは06〜08年に三度の大きなストが行われ、住民も支持した。警察の激しい暴力的弾圧に抗して闘われた08年4月6日のストは、「…この瞬間が、新しい希望を生み出した。一般の人々に新しい文化と、ストについての新しい経験をもたらした」と述べた。
10年6月には、アレクサンドリアでカレド・サエドさん(28歳)が麻薬取引容疑で警察に連行され、拷問により殺されたことに抗議して大きなデモが起きた。若者を中心に、失業者や「社会的弱者」とされる人々は、警察官の横暴を日常的に経験していたからである。
チュニジアにおける独裁体制打倒の闘いがエジプトの人々を勇気づけた。「4月6日運動」は、1月25日を「怒りの日」として、全国でのデモを呼びかけた。デモはフェィスブックなどのメディアを通じて組織された。モスリム同胞団やNAC(「変革のための全国連合」)などの既成の反政府勢力のリーダーはデモに参加しなかった。しかし、このデモを契機に、すべての反政府勢力がムバラクの辞任(と次男への権力移譲の断念)を要求し、国軍の内部でも動揺が広がった。
1月30日、カイロで独立的な労働組合による新ナショナル・センター「労働組合および労働者サービス・センター」(CTUWS)が結成された。組織化の中心を担った不動産税徴税人、退職者、医療従事者の組合をはじめ、衣料、金属、製薬、化学、公務員、鉄鋼、自動車などの組合が参加する。
エジプトの反独裁闘争は、イスラエルと米国が主導する「中東和平」への決定的な打撃となるだろう。パレスチナとイスラエルで、1月25日直後からエジプトの反独裁闘争への連帯デモが行われている。イスラエル政府はムバラク支援を欧米諸国に要請した。西岸地区では自治政府がデモを弾圧していると伝えられている。
パレスチナ民衆の抵抗闘争を伝える「エレクトロニック・インティファーダ」に掲載されたアリ・アブニマ氏のレポートによると、ガザ地区での連帯デモは、ハマス政府の呼びかけではなく、独立的なイニシアチブによるものである。また、ヨルダンでもイスラム派と左派が協力して、国会解散・民主的選挙の実施、イスラエルとの和平の撤回等の要求を掲げて全国で大規模なデモを組織している。
●インド
不安定なBPO労働者の組織化
インドのIT関連産業、とくにビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO。企業の管理部門業務の外注化)産業は急成長しており、雇用者数が03年の18万人から08年には70万人に増えている。10年末には140万人に達していると推定される。この産業はすでにGDPの10%を稼いでいる。この分野の労働者の60〜65%はコールセンターで働いており、主要に米国、英国、オーストラリアおよび国内向けのサービスに従事している。
以下は、アジアモニター資料センター(香港)発行の「アジア・レイバー・アップデート」の2010年7〜9月号に掲載されているスレンドラ・プラタップさんの「インドのBPO労働者の組織化の課題」からの抜粋である。
IT関連のサービス産業はインドの経済成長に貢献していると言われているが、それに見合う雇用増をもたらしておらず、「雇用なき成長」と貧困をもたらしている。
また、BPO契約は主に外国企業からの需要に依存し、他の国(おもに旧英国植民地)との厳しい競争にさらされ、不安定で国内の持続的可能な発展に結びつかない。また、企業側は政府に対して、雇用と解雇の一層の柔軟化のための労働法「改正」を執拗に迫っている。
BPOの労働者の80%以上は20〜25歳で、女性が40〜45%を占めている。一般的には6〜12ヵ月間の仮採用契約で雇用され、その後、正規採用されるケースは非常に少ない。正規雇用労働者は62%で、それ以外は仮採用か、プロジェクトの実施期間だけの雇用である。正規雇用でも雇用が安定しているわけではなく、いつでも解雇される可能性がある。勤続年数が2年以上の労働者は非常に少ない。
平均的な賃金は月8千〜1万5千ルピー(1ルピーは約1.8円)で、他産業より相対的に高給である。しかし、最大の問題は奴隷的な労働形態である。コールセンターでは、マニュアル通りの受け答えが求められ、常にコンピューターで監視されている(365日・24時間無休業務が前提のため)。休暇も制限されている。これが離職率の高さの大きな要因になっている。不規則な労働と不断のストレスは労働者の健康に深刻な影響を及ぼしている。労働者は常に孤立した状態で作業をしなければならない。
BPO労働者自身の多くは上層カースト出身で、高学歴で、労働組合は自分たちの階層のものではないと感じ、仕事の形態や経営者のやり方が、仲間との連帯よりも個人主義を助長している。
この分野の労働者の組織化の3つの動きがある。04年結成のUNITES(情報技術サービス労組)は、デリー、バンガロール、ムンバイ等に支部がある。当初は独立労組だったが、最近、与党・インド国民会議系のナショナルセンターに加盟申請した。西ベンガルのWBITSA(西ベンガル情報サービス労組)は、インド共産党(マルクス主義派)系のCITU(インド労働組合センター)に加盟している。CBPOP(BPO専門職センター)は、ハイデラバードとバンガロールで組織されており、UNIアジア太平洋地域協議会の支援を受けている。いずれも企業別組合ではなく、ゼネラルユニオン型の組織化を試みている。